大判例

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最高裁判所第二小法廷 昭和60年(オ)146号 判決

東京都国分寺市東元町一丁目一九番一〇号

上告人

川浪清志

被上告人

右代表者法務大臣

鈴木省吾

右指定代理人

亀谷和男

右当事者間の東京高等裁判所昭和六〇年(ネ)第一、五七四号損害賠償請求事件について、同裁判所が昭和六〇年九月二六日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告の申立があった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告人の上告理由について

原審の適法に確定した事実関係のもとにおいて、建築中の本件建物の所有権が上告人の被相続人に帰属するものではなく、被上告人に損害賠償義務はないとした原審の判断は、正当として是認するに足り、その過程に所論の違法はない。論旨は、右と異なる見解に基づき原判決を論難するものにすぎず、採用することができない。

よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 香川保一 裁判官 大橋進 裁判官 牧圭次 裁判官 島谷六郎 裁判官 藤島昭)

(昭和六〇年(オ)第一四八六号 上告人 川浪清志)

上告人の上告状記載の上告理由

第一 法の適用を誤るのは不当である。

高等裁判所判決では請負建築物は引渡しによって所有権が注文主に移るという見解であった。

しかし我国の民法一七六条では所有権の移転は意志表示のみであると定めて、引渡しをもって所有権移転の時期又は原因とする考えをしていない。

本件の様に契約当事者間に所有権争いがない場合には、法の定めの通りに注文者の所有とするのが正しいと思っている。

法律と判例のくい違いは、事情があってのことだから事情によって使いわけるのでなければ優位にある法の存在理由がなくなってしまうのである。

第二 判決理由は、理由にはなっていないので不満である。

二審判決は、引渡しによって所有権が移る、ということの是非の考慮はさけているが、これが争点になっているのであるから、判決理由には内容のある理由をひとこと付してもらいたかった。

そうすれば自己の非を悟る手がかりになるが、今迄のところでは上告人の信念にゆらぐところはない。

争点とは云っても国側でさえ所有権に関しては上告人の主張に反対してはおらず、争点という程のものでもない様である。

第三 賠償請求を棄却するのは不当である。本件の場合は注文者に所有権がある、ということになれば、損害賠償請求を棄却するべきではないことになる。

上告人の上告理由書記載の上告理由

第一 民法一七六条を適用しないのは不当

(一) 問題点

本件は請負建築中の建物が注文者の所有であるのか、請負者の所有であるのか、ということがもとで、課税されたり、撤回されたり、損害賠償を請求したりしているものである。

所有権が請負者にあるのなら賠償はしなくてもよい。

所有権の帰属問題は古くからある様で、類似問題の判例は沢山出ているが、法理と判例との間だに理論のくい違うところがあって判然としないものがくすぶっている。そこで上告人はその点を判然とさせたい。

(二) 意志が所有権移転の原因とする一七六条は法理を示している。

物権変動のことを定めた一七六条によって、意志成立(契約)の時から、造られるものは未完成でも注文者の所有に属すると解するのが正しい。この条文には動産・不動産・請負などによって区別せよとは記してない。

物権変動の全てを支配する原理である。

土地に附着せしめたとか、部材として加工されたとかを問わず、契約に基ずいて形ちを現わしたものは、全て一七六条の所有権が生ずることは説明のいらない公理である。

(三) 引渡しによって所有権が移るとするのは方便である。

一・二審判決を始め判例類大審明治三七年(オ)二八六号他はすべて、請負の場合は引渡しによって注文者に所有権が移ると解している。原始的に注文者の所有とみるものもあるには在るが、請負は特別に扱うことにしている、しかしこれには法の裏づけがない。

裏づけの代用として、民法六三三条や六三七条を示して推定を試みるが、これらは条文の目的が違うので正鵠を得たものではない。

六三三の場合は請負者は引渡しを完了しなければ代金を請求することが出来ないので、債権もまだ発生していないのに所有権権が移転しているはずがない、という発想になるものと思うが、しかしこれは債権の発生と弁済期が未だ到来していないこととを混同するものである。

一七六条は債権・債務を確定するところにその真随がある。

六三三条の方は支払い時期を定めたもので、注文通りのものが出来るまでは必ずしも払わなくてもよいが、おそくとも引渡しと同時には払わなければならないものとするものである。

同時履行の抗弁の五三三条と似ているが、支払い時期のことは占有権の引渡しくらいと対比するもので、所有権とは話しの次元が少し違っている。

六三七条の方は、担保責任の存続期間を定めたもので、目的物を引渡シタル時ヨリ一年以内とあるのを、目的物の所有権を引渡したる時と読む解釈をしてのことと思うが、これは同条二項の様に仕事の終了の区切の日を引渡しの日とみて起算するの意である。

また危険負担が請負者にある点を指摘するが、請負者が建造にあたり、責任を持ち万一の時の対策を施したりするのは当然の義務で、所有権と直接関係はない。

判例の解釈を理解しようとすれば、材料と労力の全てが請負者のものであるから、引渡すまでは請負者の所有であるということになるのだと思うのだが、そういう論法は成り立たない。

契約と同時に一七六条の影響下にはいることは明らかで、材料の時は請負者のものであったというのは、意味がない。

しかし材料や資金の提供者が判断上の重要な基準として復活することがあることを否定はしない。契約当事者間に生じた所有権争いの裁きを求められた時は、物と金の引渡しの同時履行によるのが一番端的で、合理的であるからである。

解決結果はよくても、短絡するのはよくないので、こういう場合も、契約により一旦は注文者の所有に属したものであるが、粉争や解約によって再移転(返還)して請負者に移ると解するのが順序である。

一方請負者の立場に立つと、所有権は移ってしまい、代金もまだもらえないということになり、実際には不利な場合も起きてくる。

そこで均衡をはかるために、苦しくはあるが「引渡し所有権移転説」というものを考え出して方便とし、法の理想のはざまをおぎなう補助としたものである。

これが誤解を生む因になって、くり返されているうちに、補助をあたかも法の上をゆくもののごとく思う人が多くなり始めている。

判例類の文面だけるみるかぎり、何度読みかえしても、その様にしか受け取れない表現になっている。

先例となった大審院判例の真意は「契約と同じに所有権は注文者に移転するのを原則とするが紛争が生じたものは、究極において決済をおえなければ正当な所有者とはなれない、よって引渡しによって所有権が移ると見ても同じ結果になる」というところにある。

まず法理が作用することは云わずもがなの当然であるが、なぜ法理が用いられないかという面倒な理由を付さなかったために、後続者が理由を付すべく務めたが、無理が付きまとっていた。その後は上べだけを踏襲してきている。

判例の場合は、文面には記してないが、争いがあって訴訟になったものについて、という大前提があることを忘却してはならない。

(四) 本件は法理をそのまま適用する場合である

税務署に解釈上の介入を受けたとはいえ、契約当事者間には何の争いもないのであるから、この間は裁きの必要もなく、法の通りでよい典形的な場合である。

そうするのが、約束を重んじて意志主義といわれるものを採用した民法の意にかなうことである。

本件請負契約は、双方にあまり不利にならない範囲で出来高に相当するものを払ってゆく取りきめをしたが、この様な場合、法的には勿論であるが双方の通念においても施主の所有と考えることは自然である。

紛争が起きると、当事者は出費したものくらいは守りたいと思うし、そういう解決が合理的となって来るだろうが、本件はそういうものと関係はない。

法が健在であることを信じて、契約と履行をしたものであるから、法以外のものの適用を云われる、いわれはないのである。

不履行をしたら、責任を問われ、いかようにされても仕方なく、判例の様なことにもなるというのと、誠実に履行する場合とでは話しの根本が違っているのである。

そこのところの区別をするか、しないかが、本問題の核心である。

(五) 新らしい判例を望む

所有権に関する以上の様な上告人の主張に対しては、どの様な立場にある人からも異論は出されていない。

議論はせずとも誰れにもわかっていることである。明治時代のことを責めるわけにはいかない。今に合う様にするのは今の人のつとめである。

上告人は引渡し移転説を適用した従来の場合とは、場合が違うということと、筋の通る理由もなければ誤解が生じるということを述べているのであって、判例に全面反対しているわけではない。

祖となった判例は大審明治三七年(オ)二八六号単刀直入に本質を見ているもので、手荒らながら役目は果たしているものである。それ以来、未タ変更スヘキ理由アルヲ見ス大審大正三年(オ)四八三号と云われていたもので、単純な時代はそれでもよかったかも知れないが、いつかは一部手直しされなければならない運命にあり、多くの人に指摘されながら、その時が来るのを待っていたものであることもたしかである。

今のままでは理論に誤りがあり、運用を誤られることも起る。

本件の様なことが起り、解釈内容を変更すべき理由も出て来たのにともない、最高裁判所の新らしい判決を望むものである。

たび重さなる大審院判決の重もさに圧され、活達な思考がはばかられて、わかっていながら行なえない現状の法解釈の不条理さには、いかにも不服である。

第二 賠償請求の棄却は不当

通達91のようなものが出来て、純粋に理念の世界のものにまで法理に反するものを押しつけられると、それを押しもどして法を守らなければならない。違法者には罰も必要である。

本件の場合は所有権が注文者にあるということになれば、損害賠償の請求を棄却すべきではない。

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